SALT,SUN & TIME

ローザンヌ備忘録

青猫舎の頃

どういう経緯でその後バンドを組むことになったのかは、はっきり覚えていない。それが青猫舎という名のバンドでMがどこからかベースO君に、キーボードのI君、それとドラムの、えーっと名前が出てこない(高校時代の楽しかったはずの思い出も消えつつあるのか、、、)を連れてきたんだと思う、確かみんな上級生だった。なんでそんな名前にしたのか、多分萩原朔太郎かなぁ。あ、ドラムが思い出せないのは、その先輩はハードロック好きですぐに辞めちゃったからかな?
その頃やってたのもMが作ったオリジナルを主体にイーグルスの“Take it easy”や“Ol’55”なんかをやってたのを覚えている。イーグルスは、キーボードのIくんが大好きだった。
ライブも確か数えるほどだけどやったりした、大塚の公会堂、豊島公会堂、あとどこだっけかなぁ?あの99円コンサートっていうやつですよ(笑)。
大塚の公会堂でやったのは、“GONE WITH THE SOUND”っていうタイトルをつけて当時の仲間たちと高校時代を締めくくる大々的なもので、恩師や家族、友人知人がたくさん集まってくれて、じんわりとこみ上げてくるものがあったりして忘れられないコンサートだった。あのときかな、PINK FLOYDのシーマスのブルースをやったのは?僕が歌ってる後ろでMがずーっと犬の鳴き声で遠吠えするやつで結構受けたんだった(笑)。そういえば、地元の友人が連れてきたドラムのやつが、ジョージ川口に教わってるって言ってたな。みんなどうしてんだろうか。
な訳で、今回は、イーグルスのTake it easy”“Ol’55”そしてばかうけの“シーマスのブルース“をどうぞ!

フォークデュオの頃

バンドを作る前に僕は同級生のMとフォークデュオを組んでいた(その辺のことも2007年2月近辺のブログを見てもらえるとありがたいっす)。やってた曲は、はっぴいえんどの「かくれんぼ」やブルース・コバーンの「Hight wind White sky」それとMのオリジナル曲。ペンタングルやポール・サイモン、ブリティッシュ・トラッド好きのMの作る曲はなかなか独特で、それを歌ってる僕は、何か楽しくて仕方なかった(笑)。よく団地住まいのMの家で練習をしてた。
練習が一通り終わるとお互いの気になってる音楽の話やそのレコードを「どうだっ、いいだろ」と言わんばかりに聴いたりしていた。
その時のMが取り出したシングル盤は、“ごまのはえ”というグループの「留子ちゃんたら」という曲だった。今まで聞いたことのない、特にその奇妙な歌詞に大笑いして、すぐ好きになってしまった。
で、僕はといえば、ブラック・ホークで何度か聞いて気に入ってた“ダン・ヒックス&ホットリックス”の「ラスト・トレイン・トゥ・ヒックスビル」のLPをディスクユニオンの布袋から取り出したのだった。
Mに教えてもらったブラック・ホークだったけれど、そのあとは僕の方が頻繁に通うようになっていて、Mも知らないようなミュージシャンや曲を一生懸命仕入れていたのだった(笑)
片面を聞き終わるとMは、「いいね、これ!今日貸してくれない?」と嬉しそうに言うのだった。もちろんOK!に決まってる。自分の好きな音楽を友人も気に入ってくれたことになんとも言えぬ気持ち良さを味わったのだった(笑)
で、付け足しでこんなエピソードを。前も少し書いたことがあるんだけど。
一度だけ文化放送のオーディションを受けに行ったことがあったんだ。最初から最後まで落ち着いてたMは、自分のギターを存分に弾きこなしていたのに比べ、僕は始終上がりっぱなしで、マイクを通した声がひどく震えていたのを今でもよーく覚えている。くぅ〜、今思い出しても情けない。
合否前に会場を後にして、四谷の居酒屋で一杯やったのはいいけど、結局お金が足りなくて(あ、ここでも金が足りなかったんだ(笑)、お店のご主人に「しょうがねぇな、今日は勘弁してやるよ」なんて言われて、すごすごと帰ってきたなんてこともあった。ほんと情けねぇ〜。
な訳で、今回は「留子ちゃんたら」と「ラスト・トレイン・トゥ・ヒックスビル」から大好きな「スィート・ハート」をどうぞ。お、画面が小さくできたんで、はっぴいとブルースコバーンもどうぞ!

初ブラック・ホークでの出来事

その日は、授業の後にバンド仲間から教えてもらってた渋谷の「ブラック・ホーク」に行ってみることにした(詳しくは、2007年の2月のブログをご覧くださいね。アドレスの貼り付け方がわからなくて申し訳ないっす。あれ書いてからもう11年経ったんすね。歳とるわけだ)。
貯めたこずかいを持って、年末にいつも仲間と繰り出していた公園通りのユニオンに寄って、ブラック・ホークへ。入ってメニューを見てびっくらこいた。メニューで一番安いコーヒーの値段が、今まで飲んでたコーヒーの倍ぐらいしてたからだ。「うーん」と考え込んでしまった。「切符を買うお金が足りなくなる、、、」しかし、しかしだ、免許を取ったばかりの車を乗りたくて乗りたくてうずうずしてる友人(はい、辻堂方面にサーフィン行ってた友人です)が僕にはついているんだと気づいた(笑)。不思議なのは、もし何かで友人がいなかったらどうすんだってところなんだけど、必ずいるとわかってたんだろう、きっと。で、もちろん迎えに来てくれたんだけど、それ以上に友人は、その界隈をドライブしたくてしょうがなかったみたいで、ファイアー通りの文化屋雑貨店をのぞいてみたり、表参道のカフェ・ド・ロペに寄ってみたりして(どっちももうない)帰宅が結構遅くなったのを覚えている。
その後一度だけ、あれは初めて新宿の「CANDY」(「ポパイ」に出てた。ここももうない)に入った時にやっぱりお金がなくて、だって確かチャージみたいなのを取られたんだから、、、その時は新宿交差点の交番で二百円だか借りたことがあったけなぁ(笑)。
なもんで、今回は2007年2月のブログに書いたカレン・ダルトンを!ってFULLですがよろしくっす!
先日のサザンは、妙なインストと遥か彼方で歌が聞こえるライブしかなかったので削除しました。スンマセン。

辻堂あたり

その頃免許取り立てで、サーフィンをやり始めた友人とよく辻堂方面にドライブに行ってたことを思い出した。車内のBGMはEW&Fの「fantasy」が入ってるやつとあとは、友人の好きなキャロルに永ちゃんだったかな?
で、いつものように車を飛ばしながらカセットの音にも飽きてラジオに切り替えると
♫ラァララ ラララ ラァララ〜
となんとも軽快なリズムの曲が流れてきた。サンバ風のリズムでダミ声の歌とそのメロディーが今までの歌謡曲やニューミュージックとは違った感じで妙に耳に残った。
その曲、サザンオールスターズというバンドの明らかに「渚のシンドバット」と「勝手にしやがれ」からパクった「勝手にシンドバッド」っていう曲は、その日だけでも3・4回はラジオから流れてきて「こりゃ流行るな」なんてことが頭をよぎった。
あれから40年、流行るも何もこんなに息の長いバンドになるなんて誰が予想しただろうか、って偉そうに(笑)。
あんな日はもう来ない。♫エリ〜 マイラァ〜ヴ ソ スウィー

江古田エリーゼ

スタイリスティックスをよく聞いたというのは、学生の頃溜まり場にしていたスナック「エリーゼ」でよく流れていたからで、自分でアルバムを持っていたわけではないんです。だから「ほら、あの◯〇〇だよ」とタイトルを言われてもわからない。CMに使われた曲のタイトルもいまだにわからない(笑)。鼻歌で歌ってもらったりすればすぐにわかるんだけど。
で、あの頃よくあったのがダンスパーティ、いわゆるダンパっていうやつだった。
お決まりのチークタイムの曲が「青い影」そして「メリー・ジェーン」で、あの哀愁漂うメロディはほんと好きでした。スタイリスティックスのスローなナンバーもそうだった気がするんですが。
でも何度かそんなダンパに行って、あのドロ〜ンとした雰囲気や若さのカタルシスってやつをうまく吐き出せなくて、すぐに行かなくなってしまいました。お金もなかったし。で、またふと思ったんですが、ダンパの頃ってディスコ以前?ちょっと重なって、ディスコ全盛なってくるのかな? 
ま、それはいいんだけど、もうあの「エリーゼ」はないんだろうな。こないだ少し江古田界隈がTV映ったんだけどだいぶ変わってたから。おと虫やブラック・ホークから椅子付きテーブルを譲り受けたって言ってたクランなんかもないんだろうなぁ。今度行ってみようかな。

あるクラブの幻

霞町にディスコというよりクラブのハシリとでもいうべきお店があった。服飾系の専門学校に通ってる友人に連れられて初めて入った時は、あの頃でいうスノッブな雰囲気が漂っていて「あ、こりゃ場違いだわ」とすぐに感じたもんだった。でも、せっかく連れてきてくれた友人の手前帰るわけにもいかず、大音量のディスコミュージックの中、平静を装いウォッカ・トニックをチビリチビリと口に運んでいた。
その店に行く前に「これいいんだよ」と見せてくれたグラムロック風ジャケットのLPを友人がマスターらしき人に手渡してるのが見えた。
ディスコミュージックがひとしきりかかって店の中に熱気が充満して、ちょっと参ったなと思ったその時だった。
🎵だだ どん シャリシャリ it was late last night
シャリ感半端ないって!のイントロとソフトな、だけどしっかりした高音の男性ボーカルが聞こえてきた。
それまでのギンギンギラギラ体臭ムンムンのディスコミュージックとは打って変わって一陣の風が吹くような清涼感すら漂うその曲にギラギラのフィーバーたちは、我に帰ったかのようにサーっとボックスシートやカウンターに腰を落ち着け始めた。
曲もそんな様子も僕にとってはホント新鮮で、白けた頭がスッキリ、爽快感が体中に広がっていくような気がした。そしてちょっと救われた。
それがレインボーヘアーのトッド・ラングレンとの最初の出会いだった。
あっという間に🎵 I saw the light が終わるとクラブにはまた当たり前のディスコミュージックが大音量で流れ、フィーバーたちが群れをなして踊り始める。
後で友人に聞いた話によるとマスターは「ちょっとうちでかける音じゃないね」と言ってたらしい。僕は、あのアルバムでずっと体を揺らしていたかったのにな、と思ったんだけど。
もちろん翌日には、そのアルバムを求めてレコード屋を巡ったのは言うまでもない。
なんだかそんなことも思い出した。で、そんな友人の音楽的センスには今も脱毛じゃなくって脱帽している(笑)。

にがい涙

それにしてもここんところディスコがまた盛り上がってんでしょうか?某音楽雑誌等々で取り上げられたりして。
かくいう私もその昔、ディスコにはたまに顔を出してまして(笑)。新宿の某ディスコでは、深夜の手入れ?なんかがあって、突然真っ暗になったお店の裏階段から逃げたような思い出も、、、。しかしながら、なんてんでしょう、ダンスに夢中になるってことはなかったんです。鏡に映る己が姿を見た途端、なんとも白けて「何やってんだ、俺は」と、、、。
で何を書きたかったのかというと、タイトルにもしました“スリーディグリーズ”のことでした。この『にがい涙』が当時好きでよく聞いたんですよ。もちろん細野・松本コンビのミッドナイト・トレインもなんですが。やっぱ、あの金ラメ?でボディラインがくっきり浮かぶドレスとリズムに合わせて前後に出される手の振りで 
🎵見てたっ はずよっ 
インパクトは本当に強かったですね。筒美京平さんの歌謡ディスコとでも申しましょうか、なんともパンチの効いたリズムに安井かずみさんの歌詞が上手いこと乗っかって。特にサビの
🎵あな〜た〜の 手の〜な〜か うご〜き〜が と〜れないわ〜
には、今聞いてもゾクゾクっときますね(笑)日本語も完璧っす!
んなわけで、なんだが若さとバカさが空回りしてた頃のことが蘇ったりしたもんで書いてみました。そういえば今回どの雑誌もそんなに大きく取り上げてなかった(スリーディグリーズもそうでしたが)スタイリスティックスもよく聞いたなぁ。
そんじゃ、また!