SALT,SUN & TIME

ローザンヌ備忘録

「となり町戦争」三崎亜紀 著


久しぶりに新しい若い作家の作品でもと手に取ったのがこれ。
こう見えてもその昔、W村上を筆頭に、高橋源一郎さん、島田雅彦さんなんかが出てきた頃は、新しい若い作家の方々の作品も読んでたんですよ。その後に続く、佐藤正午さん、伊井直行さんの作品も好きでした。あと冒険小説の船戸与一さんや北方謙三さん、志水辰夫さんなんかも。今はもう(♪誰もぉ〜)ほとんど読んでません、実は。それにその頃読んでたものの記憶が哀しいことにほとんど無くなってます。なんていう話は置いといて(と、両手で荷物を「どっこいしょ」とどけるしぐさをする)
うーん、困った。うまく説明できない。不思議な小説だ。小説の内容もそうなんだけど、、、。
となりの町と戦争してるんだが、してない感覚。ほんとに単純に書いてしまうと、パソコンゲームでもやってるっていう気分だろうか。と書きつつもパソコンゲームをまるでやらないのでほんとのところはわからない、サのよいよい。
痛くもかゆくも無いけれど、緊迫感、不安感、高揚感、達成感、優越感、劣等感、、、、、目に見えない戦闘にそんなものを感じ、そして愛するものを失うことによって深く傷つく主人公。
この作品からは、イラク戦争を始め拉致問題、そしてなんだろう、身近な競争社会のなかで起こる様々な軋轢、いろんなことが暗示されるんだけど、最終的にはそれらすべては、自覚するということに大きく関わってくる。自覚がなければ何も無かったこととして過ぎ去ってしまう、というようなことに帰結するのかなあ?
しかし、それよりもなによりも気になったのが、それこそこの作品自体がアタシにリアルに伝わってこないっていうことだった。どうもすべてつくりものっぽい世界なのだ。戦争というものが、この日常と地続きであるというような重要なことも作者の言葉として響いてこない。全てどこからか借りてきた言葉なり文章なりで作り上げられた小説というような所が最後まで拭い去ることが出来なかった。作者が見えない、生の言葉で書かれてない、薄荷煙草のうそ寒さに似た読後感だった。って「薄荷煙草のうそ寒さ」こそ、どっかから借りてきた言葉の最たるもんだけんじょも(笑)、、、って、あれー、もしかしてみんな嘘っぴょ〜ん、なんていう話だったりするわけ?えー、ほんとぉー(笑)
それにしても今の若手は、みんなうまいですね、文章が。もう随分経っちゃったけど、綿矢りささんの「インストール」を読んだときにも、こりゃ、うまいねどうも。なんて感じたもんですが、そのへんはほんとに凄いなと思うんですね。
でも、何かが足りない、そんな気がするんです。もう少しいえば、なんか小手先でちょいちょいちょいって書いてるってそんな気がするんですね。身体を張ってないっていうのかな、身を削ってないっていうのかな、だからこちらにずしんと伝わってこない。
、、、、、、なんてね、ずしんと伝わんなくたっていいんですよね、ほんとのところ。楽しきゃね、それでいい、ね。楽しませてくれりゃ、うきゃきゃきゃって笑わしてくれりゃ、それでいいっつぅの、ね。身体張って、削って、身体こわしちゃったら、それこそたいへんですよ、ね。適当にやりましょう。
がんばれー!若者達よ!あっというまにジジイだぜぇ〜。にっ。


古本「山風蠱」http://www.geocities.co.jp/MusicStar-Piano/9491/newpage3.htm
ずーっと、ぼちぼちやってます。よろしくです。