SALT,SUN & TIME

ローザンヌ備忘録

不思議な温

やっぱ、不思議な作家だな、渡辺温は。と書いた時点でもう違っていて、作家という感じがしないんだな。ショートショート(なんて言葉は、星新一以降だけど)やコント、シナリオといった舞台、パントマイム的な無言劇の要素やあの月世界旅行なんかのモノクロ早回しのキネマ?の要素が多分に入り込んでいる。そして、「父を失う話」や「可哀相な姉」(この二つって明らかに連なる作品だと思うんだけど)に漂う前衛芸術の色合い。って、そっちの世界ってからっきしわからないんで適当に書いてんだけど(笑)。当時の横光、川端の新興芸術的色合いとは少し違った、きっと彼らは一生懸命勉強しちゃう派なんだろうと思うからなんだけれども、もっと西洋の新しい芸術を自然に取り入れていったような気がする。もちろん若さの至れり尽くせりな部分があるけど、それは多分に面白がり屋の部分が強い、好奇心旺盛なとても感覚的なものだと思うんだ。あの有名な「新青年」時代にシルクハットにモーニングのいでたちで、日本家屋の会社(当時、誰だかの家を借りてたらしい)に通っていたなんていうところからも想像できる。横溝が「新青年」の二代目編集長の頃、彼の片腕として、モダンな誌面に変えていった立役者の一人なわけで、やはり当時のエピソードとして、社にあった「ニューヨーカー」や「カレッジ・ライフ」の中から面白いものを二人で選んでずいぶん載っけたそうな。当時はまだ著作権がうるさくない時代だったんでできたことだろうけど、みんな原書で読んでんだ、すげぇ〜!って思ったし、そういえば、この温の全集の中の「浪漫趣味者として」にユイスマンスの「さかしま」が出てくるんだけど、「さかさ物語」っていう題で、そんなもんも読んでたんだな、なんかすげぇ〜な、なんて思った。昭和4年だぜ、♪昭和4年は 春もぉ宵〜 桜も吹けばぁ〜 蝶をも舞ぉ〜 ですぜ(笑)渋澤のどのくらい前になるんだろう?って「彼方」は読んだんだけど、当時簡単に手に入るのはそれしかなくて、「さかしま」は読みたくても手に入れるには高価すぎて読んでない、でもあんまり面白くないんだよね「彼方」、よくわかんないから(笑)
で、そんな新しもん好きの、新しいもんを貪欲に取り込んでいった渡辺温、そんなキラキラとした勢いが立ち上ってくる作品群を発表していたのはわずか5年、のりにのってたのはせいぜい3年間ぐらいじゃないんだろうか?なわけで、そのあとも書き続けていたら、っていうか、書いてもいただろうけど、きっとほかのもんにも果敢に挑戦していっただろうなと思うんで、どんなことになってたんだろうかと、やっぱりもったいない気がする。
で、終わりにしようかと思ったんだけど、実はひとつ気になるところがあって、まだ半分しか読んでないんだけど、その中に、同様なプロットで書かれている作品があった。「シルクハット」と「ああ華族様だよと私は嘘を吐くのであった」という話なんだけど、二つとも売春宿であるかさかきの女を買う話なのだ。それにしても女を買う話が多い、時代なんだろうけど、、、。そこでは、自分は華族だと嘘を吐く、そして一緒に死ぬといい関係を持つ、そしてその病気は、何百年もの間、何千何万という男と女を一人ずつつないで来た、男と女の愛と同質のものだと吐く。と2作品の中で同じ部分を繰り返しているのだけれど、、、。これはいったい何なんだろうか?何かのコンプレックスの表れなのだろうか?ずいぶん前に書いた、川崎長太郎荷風を評したものにどこか似たようなものがあるような?なんなんだろう?なんか気持ちにひっかかるんだけど。なわけで、おしまい。