SALT,SUN & TIME

ローザンヌ備忘録

人よ、寛かなれ

suzukimondo2008-02-17

金子光晴のエッセイを読んでみる。
詩の方はまるで知らない。随分前に抱腹絶倒の対談集「下駄履き対談」てぇのを読んだり、不思議に人工的な、しかし素朴な美しさが漂う小説「風流尸解記」を途中で放り出したり、そういえば、面白半分の金子光晴編集時の糞尿譚特集なんてのも持ってたり、なんか糞尿に関するエッセイも読んだハズだが、あんまり覚えてないからたいした関わりはない。
そのエッセイの中に出てくる雁猟の話を、そういえば志ん生の落語の枕できいたことあんなあ、と思い出したもんで書いてみたりする。
そういえばその昔、山口瞳のエッセイの中に「最後の本音」の歌詞の話が出てきて、なんでこんなところに?とちょっとびっくりしながらも面白かった覚えがあるんだけれど、この話もそんな感じだった。
この雁猟がおもしろくて、北国から帰って来た男の土産話で、寒さに疲れた雁が大地に降り立つと、大地もあまりの寒さに凍りつき、雁がそこから飛びたてなくなる。そこをねらって人が、鎌をもって足の部分から刈り取って猟をするってぇ話なんだけど、どうです?
この話は、もともとは式亭三馬の選んだ黄表紙の名作のひとつ志水燕十という人の「うそしっかり雁取帳」というのが元で、四代目橘家円蔵の十八番「うそつき弥次郎」の種本となったものだそうで、ってぇことは、志ん生が、この円蔵の話を聞いて、「こりゃ、面白ぇや」なんてことで、自分の話の枕に使ったってぇことになるわけで。そ、そうかぁ、なんかまどろっこしいけど、なんかタメになったような気がすんなぁ。なんて思ったりして(笑)
志ん生の場合は、その刈り取ったあとの残った足から芽が出てきて、「これがほんとのかもめだ」なんてぇこと言ったりして、きちんと自分のものしちゃってるとこが、どうもエライ!もんです(笑)???ってぇことは、志ん生は、雁じゃなくて鴨って変えてる?あとで聞いて確かめてみます(笑)
でもって、この橘家円蔵ってぇ人はいったい、なんて思ってネットでちょっとみてみたら、芥川龍之介が「全身が舌」だなんてたとえた落語家だったようで、ってどういうことなんだろう?面白いことをのべつまくなしにしゃべってる人ってぇこと?もしかして息吸い込むときに特徴があったりする?それで、芥川もやっぱ、落語好きだったんだ、なんていう発見もできたりして、また得したような気がしたりして(気のせいです(笑)
それにしても今の円蔵は元気でやってんでしょうか? さらにブログは続きます(笑)


古本「山風蠱」http://www.geocities.co.jp/MusicStar-Piano/9491/newpage3.htm

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