SALT,SUN & TIME

ローザンヌ備忘録

引きずる

先日の小説の話から、いろんな視点で話が進むというのは、今流行りの「tajyomaru」こと「藪の中」がやはりそうだったなぁ、なんてことを、、、。ことの本質、本当のところっていうのは、一つじゃない、なんていうことが頭をかすめるわけです。そこんところを無理矢理「はい、これで!」なんて決めてしまうところに無理が出てきちゃうわけで、、、。ぶれない、なんつぅのは、やっぱり相当無理してんじゃないの?となんとなく思うわけです。なので、あまたある視点の中から、これなら今までより少しはいいんじゃない?これをちょっとに、これもちょっと、でもってこれのここのところをちょびっと加えて、なんていう感じに少しずつ、少しずつ良くなっていけばな、なんてことを思うわけです。って何の話(笑)
解説での保坂さんの深読みとも言える解説に呆れかえってしまい(笑)、ほんとに作者がそこまで意識しながら書いてたんだろうか?なんて勘ぐりながら、次の「クレーターのほとりで」を読むと、あながち嘘でもないような気分になった。筒井康隆さんのあれは「原始人」だったか?のような雰囲気で、こちらはきちんと物語の様相を呈している、が、筒井さんより面白くない。やっぱり、あんまり面白さに、私が期待する面白さに、この作者は比重をかけていないということがわかる。ま、それはそれでいい。
で、深読みの話だが、作者が、そこまで考えてなかったような深読みをするというようなことがたまにある。あれっていうのは、読み手がその作品からいろんなことを想像させられて、新たな物語を生み出しているといえないだろうか。そう考えてみるととても面白い。かくいう私も、私の書くものもそんな部分があると常々思っていてというか、そういうところが面白さの一つだと考えているのでついついそうなってしまう。そ、そこまでは言ってないだろう、なんてことも多々あるが、それでいいのだ。それこそが、作品がもう勝手に独り歩きを始めているということなのであろうな、面白いなと思う。

先日来読み出したスチーブン・キングの短編集「夕暮れを過ぎて」(?Just After Sunset なんで、NSPなんじゃないの♪夕暮れ時は寂しそう(笑)の最初の「ウィラ」。これなんかもすぐに、あ、あれか?あれを下敷きに創ったのね。なんて深読みをしたくなってしまうのである。作者も訳者もそんなこと一言も触れてないんだけど、絶対そうだ。なんて思ってるんだけど。ね、あれって、そうだよね?でしょ?(笑)さいならぁ〜。