SALT,SUN & TIME

ローザンヌ備忘録

つれづれなるままに よしなしごと

何不自由なく暮らしてるはずの弁護士の息子は、どこか投げやりでおざなりで、部屋の中に敷きっぱなしの万年布団が何かをものがたっていた。そこで初めて聴いたのが下田逸郎の「さりげない夜」だった。
♪僕と逃げよう ここじゃなぁーくて 違うとぉーこへ 僕と逃げよう
と切羽詰ってるようでいて開き直ってうたっていた。舌ったらずで不思議な抑揚をもったうたとメロディーが忘れられなくなった。聴きたくなった。
久しぶりにひっぱりだして聴き始めると、どっかテントの中でつばは飛んでくるわ、水はかけられるわ、のアングラ芝居でも見てるような気分になった(それにしてもこのジャケ写は、凄いなあ。吸血鬼か、ペンシルバニアか(笑)。と同時にいろいろな思いが押し寄せて胸がいっぱいになって、おっぱいになった。それを両手で押し込むと今度は胃の辺りがぽっこりとふくらんで異物感が取れなくなった。そこに手をあてさすりながらずっと聴いていると、シクシクと痛み出した。
大学に通っていた時、音楽鑑賞サークルを作って、自分の好きなロック、フォークを友人知人を集めて無理矢理聴かせた。もちろんこの「さりげない夜」もその中に入っていた。とても気にいってくれた女の子がいて嬉しくてしょうがなかった。
他のアルバムも聴いてみたいと思いながら、結局、彼のアルバムは後にも先にもこれ一枚だけだった。だから他のコトは何も知らない。こういう音楽関係がいちばんいい。
大貫妙子が聴きたくなった。
レコード棚から「クラシックス」というベスト盤を引っ張り出し聴きだすといくらか胃の痛みはらくになった。
大貫妙子with YMOといった趣の「カルナバル」が大好きなのだ。
祭りの冷めた高揚感と祭りの後のけだるさがいい塩梅にミックスされていて、見も知らぬ街の風景に溶け込んでいくような不思議な幻視感を味あわせてくれる。名曲だと思う。
そして、石川セリのベスト盤からユーミンの曲「朝焼けが消える前に」「ひとり芝居」を聴こうと引っ張り出す。全部聴いてしまう。
歌詞に似合わないクールなうたごえがなんでこんなに気持ちにひっかかってくるんだろう?突っ放されたような、気軽に手をつなげないような距離感がなんでこんなに気持ちいいんだろう?




それは吉田美奈子の「扉の冬」にも言えた。一所懸命うたっていてもしょせん何もわかってはもらえないというあきらめにも似たような思いが、こちらの気持ちを共振させるような気がする。オレもそう思う。それともそんな簡単にわかってくれるな、とでもいいたいんだろうか?きっと思い違いだろうけど。
久しぶりに大きな音でLPを聴けた日。




グラハム・パーカー&ルーモアの「ハウリン・ウィンド」で締めた。え〜、ぽてちん(鳳啓介&京唄子の鳳啓介がよく発した擬態語。京唄子の「このエロがっぱ〜!」とともに我が脳裏に刻まれるとても貴重な御言葉)



古本「山風蠱」http://www.geocities.co.jp/MusicStar-Piano/9491/newpage3.htm

ずーっと、ぼちぼちやってます。よろしくです。