SALT,SUN & TIME

ローザンヌ備忘録

逍遥遊

suzukimondo2008-02-09

相変わらずです、主水です!ちょっと疲れてます(笑)
先日、雪降る夜、久々に早く帰れることになり、久々に外酒を堪能いたしました。
あっというまに酔いが回り地球が回り楽しい時間を過ごすことができ、心身ともにリフレッシュした思いです。が、必ず二日酔いはやってくる。とほほです。
先日来読んでいるエッセイに気になる言葉が出ていたので記しておきますね。
逍遥遊という荘子の教えでありまして、きっと知ってる人は知ってるんでしょうが、私は初めて知りました。
― この世にはさまざまな世界があり、それぞれの世界における価値は等しいもの、人間には人間の、その人間の中の個人には各個人の価値観があって、その価値観を何ものにも邪魔されず、何ものをも邪魔せず、気ままに自由に、楽しむといったところまで昇華させたもの ―
なんていうことがインターネットには出てましたが、なんともいい感じで特に「何ものをも邪魔せず」なんてところがとても気に入ってるわけなんですが、まあ、なかなかその境地、昇華させるなんてとこまでには、ね。
で、そのエッセイストのものは
― ただひたすら時間がかかるということ。とにかく何かが見えてくるためには長い長い時間がかかり、実際、何かが得られるかどうかなんかわからない。しかし、長い長い時間がかかるというプロセスを肯定しない限り何も生まれないという世界観 ―
という、もっとだらだらとのんべんだらりとしたもので、もっとも重要なのは、到達地点が本当にあるのかどうなのかという<あやふやさ>と<よるべなさ>なのだ。といってるんですね。この後に、音楽や小説などの表現行為を支えているのが<確かなもの>でなくこの<あやふやさ>と<よるべなさ>なのだということもいってたりして、なんだかとても自身の思いと重なる部分があって安心した心持になったのでした。
実をいうとこの<あやふやさ>と<よるべなさ>にここのところといいますか、まあ、ずーっとですが、さいなまれてまして(笑)、でいったいどうなっちゃうんだろう?なんてことばかり考えてたもんで、なんだかスーッと胸のつかえが取れたようなそんな気がしたんですね。人生の達人であるところの荘子の思想の逍遥遊より、そんな逍遥遊をウチにいだきながら、この先いくらもない人生をとぼとぼと歩んでいきたいと思ったりなんかしたのでした(笑)お、いつになくまじめなブログになった。

で、taniyan、爺さん、MKさん、今度、パラダイス本舗にご一緒したおりには、ギター浪人さんも一緒に「陽のあたるところへ」をやるということになりまして、よろしくお願いします(笑)
♪おー 春のあらぁ〜しー つれてぇってー おーくれー 陽のあたぁーるところへ〜

本日は、地元で新年会なのです!また、去年もした同じ話を肴にまったりと呑むのです。いいんだなぁ〜、これが。いつまでできるんだろう?

古本「山風蠱」http://www.geocities.co.jp/MusicStar-Piano/9491/newpage3.htm

開店休業ですが、ずーっと、ぼちぼちやってます。よろしくです。