SALT,SUN & TIME

ローザンヌ備忘録

ヒステリア シベリアカ

suzukimondo2008-04-18

中学の終わりごろから五木寛之が好きでよく読んでた。
「さらばモスクワ愚連隊」、「風に吹かれて」(♪ハウ メニーロウ マスタ マン ウォークダン ディラン)、「海を見ていたジョニー」「青年は荒野をめざす」(青年わぁ〜 青年わぁ〜 荒野をめざすぅ〜)「男だけの世界」(♪ディスイザァ メ〜ンズ ワァー ジェイムズ ムズムズ ブラウン)「夜のドンキホーテ」、ざっとあげてもこんなになるって、好きなわりに少ねぇ〜(笑)
で、ありゃ、何年ぐらい前だろう?「正統的異端」という対談集を読んでから、氏の対談集を読み出すようになったんだ。
とってもわかりにくい話をする対談相手の話をとってもわかりやすく噛み砕き説明しながら話を返すそのスタイルに、実は目を瞠ったのだ。
ともすれば本人同士がわかればいい、なんてなりがちな対談を、いわばエンターテインメントにしている、なんて思ったりしたのだった。早い話が、頭の悪いアタシにもよくわかり楽しめて、なおかつ学者や歌い手、役者に詩人とわたりあう氏の知識の深さにびっくりしたのだった。それも相手の頭の上からの博識を大衆、市井の立場から受け止め、そしてそこから声を放つ、というようなスタイルがアタシの考えるダンディズムのある部分と呼応してなんだかいいなあ、と思ったりしていた。
対談の名手といえば吉行淳之介氏も忘れてはならないのだけど、氏に勝るとも劣らない名手であると思う、五木寛之氏は。
で、そんな氏のエッセイの中に出てきたのが表題の「ヒステリア シベリアカ」である。
シベリアで何十年も百姓をしてきた農夫が畑を耕してる時、ふと地平線を見上げるとちょうど夕陽が地平線に沈みゆくところで、それを見たとたん鋤を投げ捨て、自分の家族や自身の関わってるもの全てを忘れ去ってしまい、ただひたすらその夕陽に向かって歩き出す。
雨が降ろうが槍が降ろうがブタ降ろうが、ただただそちらに向かって歩いていく、そして野垂れ死ぬ。そんな病があるらしいのだ。
以前読んだときも、先日読んだときも、まんざら嘘でもなさそうな、そしてなぜだか惹かれるものを感じた。
何十年もサラリーマンをしている会社員が書類からふと目を上げ、窓の外をながめると、隣のビルの窓から反射した沈み行く夕陽の光が目を打つ。そのとたん、ペンを投げ捨て、自身に関わる全てを忘れ、何かに憑かれたようにビルの外へ消えていく。
「ひすてりあ じゃぽにか」
ありそうだ。

古本「山風蠱」http://www.geocities.co.jp/MusicStar-Piano/9491/newpage3.htm

開店休業ですが、ずーっと、ぼちぼちやってます。よろしくです。