SALT,SUN & TIME

ローザンヌ備忘録

太宰スト。

太宰の「お伽草紙」は、オモロイですね!最先端?のホラー、ミステリー、ファンタジーの「20世紀の幽霊たち」とを交互に読んでると、これがまたいい感じ。
現代と過去が交錯しつつ、どこかで通低している?感じ。今さら太宰なんていうところはひとっつもなく、まぁ、なんと申しましょうか、真理?なんつぅーものがオモローに表現されてるってんだから嬉しくなるじゃありませんか、ね!少し引用してみますか。
「瘤取り」っていう話。あの「瘤取りじいさん」の話ですよ。
― このお爺さんは、お酒を、とても好きなのである。酒飲みというものは、その家庭に於いて、たいてい孤独なものである。孤独だから酒を飲むのか、酒を飲むから家の者たちにきらわれて自然孤独の形になるのか、それはおそらく、両の掌をぽんと撃ちあわせていずれの掌が鳴ったかを決定しようとするような、キザな穿鑿に終わるだけのことだろう。―
しかり、鬼達の酒宴に興じる姿を見て
― お酒のみというものは、お酒を飲んでいない時には意気地が無くてからきし駄目でも、酔ってる時は、かえって衆にすぐれて度胸のいいところなど、見せてくれるものである。
中略 お酒のみというものは、よそのものたちが酔っているのを見ても、一種のよろこばしさを覚えるものらしい。つまり、隣家の仕合せに対して乾盃を挙げるというような博愛心に似たものを持っているのかもしれない。自分も酔いたいが、隣人もまた、ともに楽しく酔ってくれたら、その喜びは倍加するもののようである。(でもって爺さんは、鬼達の輪の中に加わって踊りを披露するわけですね)―
なんていう酒飲みの心情がさらっと書いてあったりする。他には、べらんめぇ調の亀が人生訓をたれる「浦島さん」やウサギが16歳の小娘で、狸がどうしようもない中年オヤジだと喝破する「かちかち山」なんぞがありますが、うんうん、なんてうなずきながらいい年のオヤジが読むのにはもってこいのお話しだったりするわけです。
人間失格」「斜陽」というような若いときのはしか熱のような話もいいんだけれども、この物語作家全とした太宰も忘れてはならんなあ、と思うわけです。そうかぁ、太宰っていうのは、物語作家だったんだっていうことがはっきりわかった「魚服記」を読んだときのことを思い出しますね。
最新のホラー、ミステリー、ファンタジーの「20世紀の幽霊たち」も面白いんですがね。どうも、ちょっと前に見たタランティーノのグラインド・ハウスのように(そういえば、このジョー・ヒルという作家もスピルバーグやゾンビのロメロ監督なんかが好きなようで、映像と大きなかかわりがあることを感じますね。ちなみにお父上がキングです)ただ単に、切断された太ももから下の脚がゴロンと転がるような救いの無さが、なんとも無味乾燥した殺伐とした現代を映し出しているようで、それはそれでいいんだけれども、その脚を愛おしく抱いてそのまま部屋まで持って帰り、自身の脚と付け替えてみて、切なく愛撫するような、そんな切なく物悲しく美しくキモクなるような世界に広がっていかない限界が感じられてもの足りないわけですね、って何の話?
なわけで、太宰をもう少しまた読みたいと思っている今日この頃であります。
太宰スト(ちなみにダダイストともかかってますんで(笑)・mondoでした。
そんじゃまた。