SALT,SUN & TIME

ローザンヌ備忘録

「ニューヨーク物語」

オレはここが最高に気に入ってる。
ここに来るたびに世の中のやっかいごとすべてが頭ン中から吹っ飛んでしまうからだ。それに疲れもいえる。オレの秘密のオアシスなのだ。
今日は、3時のジャスト・タイムに入ったのでまだ誰の姿のもない。なおさら気分がいい。
手付かずの湯船に浸れるんだからなあ。
ワクワクしながらそそくさと着てるものを脱ぐ。
シャツとTシャツ、ジーンズとパンツ、オレはいつもいっぺんに脱いでしまう。なんで他の人は一枚一枚脱ぐのか不思議でならない。これなら半分ですむというのに。一枚一枚脱いでいいのは、ストリップだけで充分だ。
あっというまに素っ裸になったオレは、軽いぞくぞくを感じながら、まだ春先の少し寒い脱衣所から浴場へと向かう。
湯気が立ち上り、午後の陽射しがその湯気を切なく浮き彫りにする。
風呂場のタイルの匂い、おけの匂い、湯船の匂いがオレを包む。
蛇口からお湯を出す。風呂場に反響するお湯の音、おけとタイルのぶつかる音、オレのせき。
ざぁー、ざぁー、ざぁーと身体に湯を浴びせかけると、あとはあの極楽の湯船の中へ身をどっぷりと沈めるだけだ。
少しよろけながらつま先から湯船へゆっくりと入っていく。
「あちっ、ちちちちちち、、、、」
と言いながら腰までゆっくりつかると、熱さが体の芯に向かってじわじわと押し寄せてくる。後はいっきに肩まで浸かる。
「ぷっふぁ〜」
身体全体に心地よい温かさがジワーッと広がっていく。んだけど、実は、心地よさの前にほんの一瞬気持ち悪さがやってくるのだ。だからほんとは、
「うっ、、、ぷっふぁ〜」
なのだ。って、いいかぁ、そんなこと。
頭をタイルのふちに乗せ身体の力を全て抜いて目をつぶる。
頭の中はまっさらになっていく。もうほとんど夢うつつの状態。どんどん、どんどん身体が湯船の中に没していく。
鼻の中に湯が入ってきたところで、ハっとして目を開けた。
するといつの間にかオレの隣に白髪のじいさんが、そして反対にはツルッパゲのじいさんが気持ち良さそうに顎まで浸かってる。ツルッパゲのじいさんなんか顔を上気させ生まれたばかりの赤ん坊のようだ。やっぱ、風呂は最高だもんなあ。
さ、身体をきれいにするかぁ、とお湯から出ようとするとクラっときた。この、クラっ、がなんともたまらんのだ。そして軽いダルさ。ちょっと長湯し過ぎた様でその後も軽くクラっときた。
ちょっとふらつく頭で腰を下ろし、ただひたすら今度は身体を洗うわけだ。
オレの愛用は、少しへなったへちまだ。こいつに石鹸をたっぷりぬりこんでゴシゴシと身体が赤くなるまでこする。見落としがちな耳の裏は、特に丹念に洗う。男は身だしなみが大事なのだ、特に見えない部分の身だしなみが。
頭もぐしゃぐしゃと洗いさっぱりして、鏡をのぞく。
ここんところの仕事のせいか、それとも無精ひげのせいか、皮膚に精彩がないような気がする。目じりの皺も増えたような、、、。
鏡に気持ち良さそうに湯船に浸かるじいさんたちの姿が見える。早くあの極楽の湯船に浸かりたいという欲求にかられるが、この貧乏ったらしいヒゲをそらにゃあアカンと髭剃りに手を伸ばすと、うまく掴めず足元に落とす始末。
しょうがねえなあ、まったく、と拾いなおして手早く丹念に剃りあげる。
「うーん、マンダム」
頬から顎に手をやりながら、やっぱり少し痩せたのかなあ、と感じる。
最近の食生活を振り返るとさもありなん。今夜はちょっと精のつくもんでも食べよう♪やっぱり肉を食おう、なんて考えながら顔を洗い、身体にお湯をかけきれいに洗い流して湯船へ向かう。
湯船には、さっきのツルッパゲと白髪のじいさんに加えて新たに二人のじいさんが、これまた気持ち良さそうに顎まで浸かってる。
「うっ、ぷっふぁ〜」
とオレも極楽の境地へと向かうべく湯船にどっぷりと浸かる。
目をつぶると、あっという間に夢心地。またもやどんどん、どんどん、どんどん、どんどん身体が湯船に没していくような感覚にとらわれ、どれくらいたったのだろうか「やべえ、やべえ、そろそろ出ないとなあ」とやっとの思いで目を開け、ゆっくりと立ち上がろうとするとクラーっと大きなめまいに襲われた。
ふらつきながら洗い場に腰を下ろし、参ったなあ、長湯しすぎたなあ、と鏡をのぞいて驚いた。
うちのオヤジそっくりの男が疲れた様子で映ってる。って、オレだよ、オレ。
白髪も、目じりの皺もさっき見たときより明らかに増えているし、頬のこけ加減も。
おけのお湯で今一度、顔を洗いなおしたが何の変化もないない。今見たマンマ、うちのオヤジに似た初老の男が顔色を変えこちらをじっとのぞきこんでいるだけだ。
「あっ」
と思い出したようにオレは、湯船に目を向けた。
湯船には、気持ち良さそうにさっきのじいさんたちがなにも変らず顎まで浸かっていた。
でもオレは知っている。あのじいさんたちがいくらか若返ったことを。やられた。


古本「山風蠱」http://www.geocities.co.jp/MusicStar-Piano/9491/newpage3.htm

ずーっと、ぼちぼちやってます。よろしくです。