SALT,SUN & TIME

ローザンヌ備忘録

「ゆき書房」の幻

その頃私は営業の仕事をしていた。
外を歩き回って時間が空いたり、早めに仕事が終われば決まって古本屋をのぞいていた。
仕事先がある池袋、高田馬場、神保町の古本屋がおもで、たまに高円寺や荻窪、大森、蒲田へも。もっとたまには、鎌倉あたりまで足を伸ばしたこともあった。
だいたいがその辺の同じ古本屋ばかりを回っていたもんで(って仕事の合間ですからね、もう一度言っておきますが(笑)他の知らない古本屋さんにはきっと、私の探し求める本があるんじゃないだろうか?ということがいつも頭の隅にあった。
そんなこんなで手にしたのがBOOKMANの東京古本屋帝国ベスト店という古書店特集号だった。

このBOOKMANとは、瀬戸川猛資さんが途中から発行人になり、若かりし頃の荒俣宏さんや呉智英さんなんかが執筆していて、岩波文庫を特集したり、探偵小説を掘り下げたり、ほんもののホラーとはなにかと考察したり、SF珍本を特集したりとなかなかに楽しい内容の30号で休刊となってしまった幻の書評誌であった。ま、その辺はいいか。
で、その古書店特集号は、東京の古書店一軒一軒の特色がなかなかよく書かれていて、私にはうってつけの古書店ガイドであった。先日の横浜古書店徘徊のときにも参考にさせてもらったのは、この号である。
その中から興味のある古書店をピック・アップして、仕事帰り、休日にと歩き回り、出会ったのがタイトルにもある「ゆき書房」である。        

間口2間ほどのせまいお店ではあったが、その店内の充実さには、目をみはるものがあった。もちろんそれは、私個人にとってではあるが。
純文学、大衆小説、探偵小説、ミステリー、SF、芸能などが渾然一体となった品揃えで、それまで名前だけは知っていたが、見たことはなかった本があちらこちらに並んでいた。
橘外男の処女作「太陽の沈みゆく時」を見つけたのもここだった。有島武郎が序文を寄せてるこの本は、小口に金を使っておりずっしりと重かった。とても珍しい本には違いなかったが、とても良心的な値段が付いていた。もう一冊、谷崎潤一郎春陽堂文庫版「饒太郎」もここで見つけた。確か限定1000部のやはり珍しい文庫だった(中身もぶっ飛んだ内容で珍しい(笑)が、これとて良心的な値付けがしてあった。ここにくれば何か掘り出し物が必ずあるといった、私にとってはなんとも嬉しい古本屋だったのである。
なので週に1、2度は必ず顔を出すことになり、そうこうしてるうちに良心的な値段の付け方をする、明らかにあまり儲けてはいなそうな温和なご主人とも話をするようになった。後にも先にも古本屋のご主人と仲良くなれたのは、この「ゆき書房」だけである。そこで荻窪の「ささま書店」や鎌倉の小町通り古書店を教えていただいたりもしたのだ、確か。
その後、仕事が変ったことを契機にしばらく足が遠のいてしまった。ずーっといけずじまいで、1年ほど経ったある日、久しぶりに行ってみると「ゆき書房」があったところは、そんな古本屋があったなんて誰もが思わないだろうというように小奇麗にリフォームされ、ガレージ兼物置に様変わりをしていたのだった。
呆然と立ち尽くしながら、途方にくれてしまったのを覚えている。
それからもいろんな古本屋をのぞいたが、「ゆき書房」のような古本屋に出会ったことはない。
今でもたまに、あのご主人はどうしてんだろうなあ、なんて思い出したり、夢に見たりしている。
だいたい欲しい本が手に入った夢の舞台はこの「ゆき書房」なのだ。
「ゆき書房」は、もう私の頭の中にしかないほんとに幻の古本屋になってしまったのであった。
でもって、私の夢はそんな幻の古本屋をやることなのだ。


古本「山風蠱」http://www.geocities.co.jp/MusicStar-Piano/9491/newpage3.htm

ずーっと、ぼちぼちやってます。よろしくです。