SALT,SUN & TIME

ローザンヌ備忘録

いやぁ、面白かった。

suzukimondo2008-01-10

しかし、何でもっと早く読まなかったのかなあ、って後悔してしまいました。
何って? 井上ひさしさんの「喜劇役者たち」ですよ、あーた。
随分前に、そういえばコメディのオーソリティは、小林信彦さんに色川武大さんに、もう一人、井上ひさしさんだろう、なんて書いておきながら、この作品をずーっとホッポリ出しておいたもんで、我ながらちょっとお恥ずかしい。
内容はといえば、当時(昭和31年)上智大の学生だった井上さんが、浅草のストリップ劇場にて文芸部進行係(緞帳の上げ下げ、中割緞帳の開閉、舞台中央マイクの上げ下げと手持ちマイクの出し入れ、舞台暗転中の布団や三点セットなど諸道具の出し入れ、秋の虫からピストルの音に至るまでの一切の擬音効果、次回の出し物の大道具帳や小道具帳の作成、次回台本作者に対しての原稿督促、次回台本のガリ切りと印刷、製本、次回ショーの振り付け日程の作成、終演後の舞台清掃、踊り子への面会人の受付、踊り子の昼食の注文の承りとそれの外部への一括注文、踊り子の食べた店屋ものの食器の整理と保管、ショーやドタバタ芝居の進行中の楽隊、照明係、大道具係へのキッカケ渡し、舞台に出とちりしている踊り子への警告、踊り子や役者の中の競馬愛好家者に代わって馬券買い―三千円の月給でよくこんなにも働いたものだと感心するけれど、むろんこれで浅草のストリップ小屋における文芸部進行係の全仕事を網羅したわけではない。上記に列挙した以外にも、私服刑事による手入れの察知、猥褻営業で挙げられた場合、支配人に代わっての留置場行き、観客に無料で配る八頁のプログラム『バーレスク・ステージ』の編集などの重要な仕事がある。以上本文より抜粋)としてアルバイトをしていた頃出会った、一癖も二癖もあるアクの強い喜劇役者たちの切なくも儚い(はかないという字は、人の夢と書くのねぇ〜)ドタバタの日々を描いた聞くも涙、語るも涙の物語の数々が散りばめられた抱腹絶倒の半自伝的小説なのである。
ひとつずつそのお話をお教えしたとこではありますが、ここまで書いてもう充分疲れちゃったんで、でもひとつだけ。
喜劇役者にとって一番気になる存在は、誰だと思います?お客さん?いいや、ちぎゃう。お客さんなんてぇのは、ただ、ただ追従するだけ、才能を発見するにおいて一番怠慢なのが観客。だれそれが面白いと誰かが折紙をつけてくれないと、そのよさが理解できないのが観客なのである。でも、客の気持ちが動き出したら話は別になる(っていうのもこの本からの受け売り)。
で、一番の気になる存在それは、裏方さんの反応なのである(お笑いなり、なんなりを商売にしてると、自然とその辺、やっぱり裏方さんの目が一番怖い、わかってらっしゃる、なんて自ずとわかってくるじゃありませんか、ね。)。でもってその裏方、大道具の親方の話が始まるのである。
その親方がそでから舞台を見てるうちに出世したコメディアンは、渥美清を筆頭に谷幹一関敬六(ちなみに、ダチョウ倶楽部がいっとき使ってた「ムッシュ・ムラムラ、ムッシュ・ムラムラ」ってぇのは、この人が元祖。ハンナ・バーベラのアニメ「スーパー・スリー」のコイルの吹き替えをやってたのが関敬六だど、で、お決まりのセリフがこれだった。当時のアニメの吹き替えには、コメディアンや落語家がよく起用されてましたな、そういえば。いっときトリオを組んでたこともあるはずなんですよ、この三人は。確かスリー・ポケッツといったはず)、に長門勇といったそうそうたるメンバー(彼らのちょっとしたエピソードなんかも話の中に出てくるのもうれしい)。その親方がそでで見始めたある新人コメディアン。しかしてその新人コメディアンの運命やいかに。あとは、どっかでみっけて読んでのお楽しみ。
しかし、そんな旧き良き時代の浅草界隈。ほんとにいいんだよなあ。アタシも給料安くてもいいから文芸部進行係をやってみたかった。ぽてちん。
この本、どっかで、河出文庫あたりで復刻してくんないもんかなあ。どうぞよろしく。
あ、「山風蠱」にもそのうち出しますんで、こうてや!


古本「山風蠱」http://www.geocities.co.jp/MusicStar-Piano/9491/newpage3.htm

ずーっと、ぼちぼちやってます。よろしくです。