SALT,SUN & TIME

ローザンヌ備忘録

五木寛之と中井英夫の対談


が気になっていた。
随分昔に読んだ時の記憶が、中井英夫が戦争末期にも銀座の喫茶店がちゃんと開いていた、ということを言っていた記憶があって、それが先日書きとめておいた小林の「灯火管制時の川端の提灯の灯りはおかしい」という突っ込みに、大きな引っ掛かり覚え、「ほんとにそうなの?、きちんと「断腸亭日乗」にあたってみよう」という気持ちにさせたのであった、実は。
なもんで、その対談を読み返してみた。(「断腸亭日乗」は、押入れの奥、どこへいったのか見当たらず、未だはっきりしない(笑)
昭和19年の8月、サイパン陥落、小笠原、父島に敵が迫る頃、銀座「カフェ・プランタン」がちゃんと開いていて、お砂糖の入らない紅茶、珈琲を飲ませていた。加えて、桃色のワンピースに下駄履きの女の子が闊歩していた。なんでこいつ兵隊に行かないんだろうなと思うくらいの若いのが背広姿のアベックで腕を組んで歩いていた。―
なんてことが、自身が見たこととしてと書かれていた。
そこには、日の丸のはちまきを締め、飢えの中、歯を食いしばり、といったようなイメージは微塵もない。
あれってやっぱり、自身の思い込みもあるけれど、そういったある意味美化するように、しむけられてたっていう所があるような気がするな、どうも。世の中に踊らされちゃってる気が(って、日本語の使い方がおかしい?)
だから、川端の提灯の灯りっていうのもあながち嘘ではないような気もするんだよな。って、早いとこ読み返せばいいわけなんだけど(笑)、あ、それと、荷風が盗んだのは、薪じゃありませんでした、配給された炭でした、そうでした、そうでした。
それにしても五木寛之、以前にも書いたことがあるけどなんだか凄い人ですな。その博識には目を瞠るところがあるし、あの終戦の中、朝鮮から引き上げてきて、自身を漂流者、祖国のないもの、デラシネ(アタシの場合はさしずめ、ダラシネぇ(笑)または芸人、芸人は時代の腰ぎんちゃくである、なんてこともいってたりして。
この対談集、氏のいろいろな面が垣間見えて面白いです、続けて読んでおります。でもって、また「断腸亭日乗」は、忘れ去られてしまうわけですね。そう、それが人生の正しいありかたです、私のですが、にゃははははは。

以前書いた五木寛之対談集の日記
http://d.hatena.ne.jp/suzukimondo/200804