SALT,SUN & TIME

ローザンヌ備忘録

うーん、と

[:W120]喉の奥の方でうなって僕は、その雑誌を片手にレジへと向かった。
あれは確か、「ニューミュージックマガジン」の書評ページだったのか?それとも「話の特集」のだったか?いや、、、はっきりしない。はっきりしているのは、池袋の今はもうない芳林堂書店の一階奥のその手(ってどんな手だ)の雑誌コーナーで、11号と12号を同時に買ったってことだ、確か。ってやっぱりはっきりしてないんじゃん(笑)そして、それから昨年の5月まで、何年になるんだろうか?(ちょっと調べてみたら30年近くだった!)ずーっと買い続けていた「本の雑誌」。あそこで冒険小説なるものを、船戸与一志水辰夫を知ったし、「Xmagazine」のちの「Jam」「Haven」の自販機本(懐かしぃ〜、恥ずかし〜)を知ったし、隅田川乱一なる妙なもの書き(今二つぐらいよくわかってないが(笑)も知った。「透明人間の告白」に「リプレイ」他、いろんな小説、エッセイ、それこそ自販機本から哲学書(はなかったか。ってなんで自販機本と哲学書が対になるんだろうか?そこには通底するものがあるわけなんですね)まで面白本も、面白いって書いてあったから読んでみたのにつまらなかった、なんていう本たちもおせぇ〜てもらったのだ。いちばんハマったのがきっと編集長のシーナマコトの書くものだったんじゃないかと思う。「さらば国分寺書店のオババ」には、ほんと笑い転げた。あれは、POPEYEの書評でおせぇ〜てもらったような気がする。昭和軽薄体、オモシロカナシズム、なんて呼ばれたり、「シネマの煽動装置」なるもので(僕のは「記憶の汲み取り装置」ですんでよろしく(笑)ガキ大将的作家だったっけかな、、、?ね、僕の記憶は汲み取り装置でしょ。すべて?がつくんだから、、、。?(うん?)がつくってことはいいことか(笑)で、武田鉄矢は映画に出る顔じゃないなんていうのと一緒にちょっと批判的に書かれたり(笑)もしたけど、僕は好きだった。その頃の「本の雑誌」、実をいうとどこの文庫が強いかと銘打って(確か)各社の文庫を遠心分離機(確か)にかけてぶん回してタイトルそのまま強度を競い合ったり、「文藝春秋」を表紙から表四の広告まで一ページずつ、徹夜してまで丹念に読んで詳細に記していったり、お正月特別号の婦人雑誌を読み比べたりとアホな(ナボナ)企画が目白押しでサイコーに楽しかったのだ。そいう発想の自由さ、奇抜さが他の書評誌(っていうと当時はなんだか小難しい顔したエラソウなおっさんが書いてた硬い書評誌ばかりでしたからね)と違って新鮮だった。でもって前にも書いたように書評する本は選ばないっていうところもうれしかったわけなんだけど。あと、スゲェーなあ、と思ったのが発売日を守らないところ(笑)最初のうちは、「今しばらく待て」だの書いてあったのが「遅れても死にはしない」なんていう開き直りを見せるような論調になり読者の顰蹙をもものともしないその姿勢にいたく心をうごかされたのだった(笑)丸谷才一だったかが、理想的な雑誌だなんてことをどっかに書いてたりしたことがあったけど(東京人だったかな?)、僕もいいなぁ、と思ってた。
けれどもその後は、売れ出したせいか内容もアホな企画をやらない当たり前の書評誌に近くなって、もちろん発売日もきちんと守るようになって(笑)僕にとっては、あまり面白くない書評誌へと変貌して行ったのだ。
その「本の雑誌」が今存亡の危機だということを立ち読みで知った。だから、僕は、うーんとうなってレジへと向かったんだ。「いましばらく這いつくばってがんばる」って書いてあったけれどいったいどうなるんだろうか。「2月号はカレンダーの都合で発売が少し遅れるけれど、必ず出るので休刊だと思わずにお待ちください」となんとなくあの発売日遅れの言い訳をしていた頃の「本の雑誌」みたいで懐かしくなったけれど。そう、あの頃の発想の自由さを今一度取り戻してがんばってもらいたいもんだと思っている。少し心配だけど。(それにしても「だけど」が多いんだけど)