SALT,SUN & TIME

ローザンヌ備忘録

「砂男」の恐怖、、、

十蘭を思い出すたびに頭の片隅にぽわんと浮かぶ作家がいる。ホフマンの「砂男」からその名をとった大坪砂男。この作家も十蘭のように博覧強記な部分とシャレた部分を兼ね備えた上にどこか荒っぽさを残している一筋縄ではいかない作家なのである。ちゃかぽこ。
ところで「砂男」なるもの、夜になるとやってきて、子供らの目に砂をかけて、目をあけられなくしてしまうという伝説の、水木先生のお書きになるところの「砂かけばばあ」に似た妖怪(笑)。「夜遅くまで起きてちゃいけないよ」なんていう戒めの部分もあるんだろうけど、チト痛い。よく悪人に追い詰められ、やばい状態になった人間が、砂や土を目にかけ逃げるという場面があるけど、子供相手にしては、なんとも恐ろしすぎる。なんてそんなことはいいんだけど(笑)
で、この大坪砂男、私の好きな探偵小説の元祖、谷崎、佐藤の両巨頭の不肖の弟子(笑)で、そういえばどれくらい前だったろうか、その奥さんの譲渡関係にもなにやら関係がある、なんてことが新聞に出ていたのを覚えている。なわけで、余計にその一筋縄ではいかない加減がわかろうというもの。
思い起こしてみると、氏の作品「天狗」「零人」「立春大吉」「涅槃雪」と有名な作品くらいしか読んでいなかったような気がして、きちんと読見返すことにした。
うーん、その技巧的な文体がどちらかというとアダになってしまっているのだろうか、チト読みにくいの感が。十蘭のように眼前にその場面がうまく像を結ばない。しかし、引き込まれる何かがそこにあることは確かだ。人間の心理描写をその立ち居振る舞い、言動で克明に描写をする、例えば「涅槃雪」は、そのトリックが頭の中でうまく像を結ばない。同様に「天狗」の、、、。と作品の解説は煩いだけなんでこんなところにして、気になった方は、現物に当たっていただくとして(国書刊行会からアンソロジーがまだ出ているんじゃないだろうか?)、不思議な話をひとつ。
ずいぶん前に読んだ色川武大の「花のさかりは地下道で」? 違ったかな? にこの大坪砂男がひょっこり出てくる。主人公の色川が編集者の頃大坪の担当だったらしく、久しぶりに、あれは神保町あたりだったろうか? 大坪に出くわし立ち話をして別れたのだが、実は、大坪がもうだいぶ前に亡くなっていたというオチがつくという怪しいお話だった。
小説の世界なんてぇものは、何書いてもいいわけだから、それに相手が大坪砂男だし、なんてことでその時は軽くスルーしてたのだけど、、、。その後、色川が亡くなり、奥さんが書いた「宿六、色川武大」を読むにあたって、背筋のあたりにつぅーっと冷たいものが走った。
奥さんも「昔の懐かしい作家さんに会ったんだけど、もう亡くなってたんだ」と色川が不思議な顔をして言ってたと書いていたのだ。本人が、書いてるぶんにはなんでもないような気がするんだけど、奥さんが覚えてて書いてるって言うのは、それも亡くなってからだから余計に、、、。
あ、また夜中に小便いけなくなっちゃう(笑)